航空の歴史
意外と知られていない日本の民間航空の歴史について話そう。
日本の航空は、不遇の歴史を経てきたんだ。
日本が第二次世界大戦に負けたのは1945年だよな。この時、マッカッサーの率いる連合総司令部(GHQ)に日本の航空機関は全て封印された。
軍関係の航空機だけでなく、民間の航空機も全て破壊された。
世界では航空テクノロジーの発展の真っ只中だというのに、日本はその研究すらも禁止された。
もしこの空白の機関がなかったら、今の巨大航空機メーカーはボーイングとエアバスだけじゃなくて、日本のメーカーも入っていたかもしれない。
三菱航空機がMRJという国産ジェットを開発していたけれと、現状は残念ながら凍結となってしまった。
話は戻って、終戦から5年後、GHQによって航空の再開が許可された。
これを『航空再開』という。
そして1951年に日本航空の『もく星号』が戦後初の民間航空機として飛んだ。
といっても実はこの飛行機はアメリカのノースウェストからダグラスのDC4を借りたもので、パイロットも全員アメリカ人だった。
完全な形で日本のものになるのは、そのもく星号が1952年の4月9日に、伊豆大島で墜落事故を引き起こした時だ。この事故は多数の死者を出した。
そしてこの事故をきっかけにアメリカの航空支配からの脱却を図ったというわけだ。
その後の日本航空は半官半民の特殊法人として経営されたが、JALはその国営企業から始まったという体質上、様々な政治家との関係を持ってきた。そしてそのなれの果てが、2010年の破綻だ。
つまり、JALが始まった瞬間から、破滅への道は続いていたんだ。だから、単純に今の経営者を責めることはできないし、まして社員を責めることなんてもっての他だ。
この航空の歴史は政治的な側面も強いし、経済界とも深く関係している。
山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』みたいな小説もでているくらいだ。本を紹介しておくので、時間があったら読んでみてほしい。
この『腐った翼』は記者が書いたもので、ものすごいリアリティを感じるし、『永遠のゼロ』は小説だけど、小型機の操縦を非常によく描いている。泣けるしな。