責任って言葉の重みを知れ

2011-04-04

さて、今日は『責任』という言葉について考えてみてほしい。

「あの人は責任感がある」とか、「責任ある仕事がしたい」なんて聞くことがあるけど、それってどういうことなのか、正確に把握できてるかな。

まず、責任という言葉の意味について把握しておこう。
デジタル大辞泉によると、責任とは
“1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての責任がある」「責任を果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。「事故の責任をとる」「責任転嫁」
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。” 参照:https://www.weblio.jp/content/責任

だそうだ。パイロットの仕事に置き換えて大雑把に言ってしまうと、
①運航の安全を守る義務
②結果、つまりは失敗した時に責めを負い、法律上の制裁を受けること
の2つに大別されるんじゃないかと思う。

実は航空法に『機長の義務』とか『操縦士の義務』っていうのが細かく規定されているんだけど、興味があったら調べてみてほしい。
今や航空法はネットで誰でも見れる時代だ。

どうだろう?ここまで、イメージ通りだろうか?
あんまり気持ちいいものじゃないよな、責任がでかいって。

話を変えよう。登山はしたことあるかな?

僕は学生時代、登山が好きでよく山に登った。
山はいいよ。 自然はきれいだし、一日中歩いた後で食べる飯は本気でうまい。
灯り一つないところでランタンを頼りに歩く時なんて、自分がいかに小さい存在か思い知らさせてくれる。

こっからが本題なんだが、登山においてはチームって意識が非常に強い。

チームには必ずリーダーがいる。
リーダーが最後尾を歩いて、誰もはぐれてないか常に監視してる。早朝から山道を何時間も歩くので、ペースが落ちている人がいたら休憩を適宜挟む、最悪の場合は行程を変更するかの判断を行う。

毎年登山者が山で亡くなっているけど、やっぱり危ない時は危ないんだよな。
不足の事態が起こった時にこそリーダーの真価が問われるんだと思う。

僕が行っていた部活では、そのチームで遭難者がでればリーダーが責任をとって、部活を追放される。
部活なのに、厳しいよな。でもチームの誰かが欠けるのは、リーダーの責任だ。『お前が悪い』ってここまで生々しく突きつけられることって学生にはほとんどないんじゃないかな。でも、 「リーダーの不注意から人を死なせた」と言ってしまってもいい。

責任ってのはそういうもんだ。
リーダーとして登る山やルート、休憩のタイミングなんかを決められる反面、チームの安全を絶対に保障する責任がある。

ここでまた言葉の話に戻ろう。
wikipediaを読むと面白いことが書いてある。

“責任とは、社会的に見て自由があることに伴って発生する概念である。自由な行為・選択があることに伴い、それに応じた責任が発生する。
ある行為・結果に対してある人(例えばAさん)には責任がある、とされているということは、ある行為がAさん本人にとって選択の余地がある(つまり哲学的な用語で言えば自由意志に基づいて行うものである)と判断されていることを意味する。責任と自由は常に同時に存在し、切り離すことは出来ない。自由の無いところに責任は存在せず、責任の無いところに自由は存在しない、とされる。” wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/責任

責任とは、自由があることによって発生する概念なんだ。
機長になれば、緊急事態に自分の判断で運航の方針、旅客への避難の命令など、強い権限が与えられている。

つまり、取ろうとする処置について、機長の選択の自由があるところで、旅客や他の乗務員が怪我をしてしまった場合には、機長はその責任、つまり法律上の制裁を受けることになる。

よくある例でいうと、運航中に揺れる可能性がある空域で、でも危険が及ぶ範囲ではないよなと判断してベルト着用サインを付けずに飛行していて、思いがけず大きく揺れてしまい、旅客や客室乗務員が怪我をしてしまった場合だ。

毎年、このケースで航空事故と認定されている。

逆に言うと、例えば通常の運航中に地上から対空ミサイルが急に打ち込まれて(そんなことは本来あり得ないんだけど、起こってしまった悲しい過去がある)、機長がそれと気づく間もなく飛行機が木っ端微塵になった、なんて場合には機長に責任はないと言えるのだろう。

そう考えると、責任って怖いよな。
軽いもんじゃない。よく考えてみてほしい。