理想と現実のギャップと合理的な思考について質問です。
はじめまして。高校2年生の時にこちらのサイトを見つけて以来、ずっと記事を読み進めておそらく全部の記事を読ませていただきました。お気に入りの記事は、「夢と現実の狭間で立ちすくんでいます。」です。時々見返しては自分の選択を見直しています。
今回質問させていただくのは、この選択の価値観についてです。理想と現実のギャップに悩むことは人間だれしもあるものだと考えていますが、ぱいなろさんはどれくらい自分の今の現実を省みて選択をしますか?
また、この質問は言わば、自分の可能性とリスクを天秤にかけるということなのかもしれません。理性と合理性が自分の中で強いほど、リスクを重視し味気ない人生となるでしょう。私はまさに合理的思考をもつ人、悪く言えば効率人間、省エネ人間なのですが、時々そんな自分が嫌になります。自分の今までの理性と合理的思考を狂気をもって破壊する、それができたとき理想や夢を叶えることができるのかもしれません。合理的に考えたら到底考えられないような行動をし続けることで打破することができるのかななどと漠然と考えています。
一方で合理性はパイロットになるにあたって必須の能力なんじゃないのとも思います。合理的思考について何でもいいのでフリートークをお願いします。
つまり整理すると、
1.ぱいなろさんはどれくらい自分の今の現実を鑑みて選択をしますか?
2.合理的思考について何でもいいのでフリートークをお願いします。
本来は自分で悩み抜いて答えを出すようなものなのかもしれませんが、考え方の一つとしてぜひ教えていただきたいです。「夢と現実の狭間で立ちすくんでいます。」の記事のようにビシッとお願いしたいです。長文失礼しました。
By Pico Nortonさん
回答
Pico Nortonさん、ご質問ありがとうございます。
いつも読んでくれてありがとう、感想もいただいて本当に嬉しく思います。思いに応えたくて、今回はより熱が入ってしまいました。長くなりますが、最後まで読んでくれるとありがたい。
「夢と現実の狭間で立ちすくんでいます。」 について、自分で読み返して見ましたが、この記事を書いていた時のことを覚えています。
我ながら若かったこともあり尖ってるなぁと思わなくもないですが、質問者の冬好きの水泳部員さんはこの後も何度か質問してくれて、もう就職もしていることでしょうか。夢を叶えてパイロットになっているといいなぁと思います。
まず回答に入る前に合理的思考についてですが、合理的思考を行うことと夢を追いかけることは別物だと思います。
また合理的であることとリスクを許容することも別です。
例えばパイロットになりたいという夢があったとして、その夢を追いかけることにリスクはついてくると思います。
私大の操縦学科に行くとした場合、学費という金額に対して、業界の状況や自分が体を壊してしまうなどで将来エアラインのパイロットになれない可能性は否定できません。
しかしこのリスクは人によって許容できたりできなかったりします。
家が比較的裕福であればこの『費用』がそこまで致命的になりませんが、ローンを組んで大学に入った人には在学中に航空身体検査に通らなくなるような怪我をしてしまったりすると、もうどうにもならなくなります。でもそうなる可能性は低いと評価できるならば「そうなったらもうしょうがないや」として許容してしまってもいいかもしれません。
そこを「いやそうなったらローンを返せなくて破産ってことになるのはたとえ可能性が低くても自分には許容できない!」と思うのであれば、その道は選択肢から外すべきでしょう。
それは合理的思考というより、どれだけリスクを許容できるか。それは自分の経済的状況、身体的状況、関連する様々な状況によるし、また追い求める夢への志望度合いによって変わるものだと思います。むしろ、夢とそこに潜むリスクに対して、合理的に考えて判断をしていくべきものなのでしょう。
ここで質問の本題である、管理人はどれくらい現実の自分を鑑みて選択をしますか?というところですね。
僕もどちらかと言えば合理的にものを考える方だと思います。
理想と現実のギャップがあったとして、まずはそのギャップを客観的に把握することが大切だと思います。
自分のこととして、例えば機長昇格を考えてみましょう。
機長に昇格するためにどれだけの知識量や技術が必要で、現在の自分のそれはどの程度足りていないのか。
足りない部分を補えばそれでいいわけですから、そこを正確に把握すればするほど、必要な努力は最低限で済むことになります。合理的ですね。
でも実際は完璧にそのギャップを図ることができないわけです。
自分のことを過大評価しがちだったり、過小評価しがちだったりするし、また理想の部分も不確定な部分が多い。
例えば機長昇格には『機長認定』という審査を受けなければなりませんが、航空局から派遣されてくる審査官によって問われる口述試験の内容も違うし、今日の質問は100点満点で答えられたってこともあれば、一方で今日は全然答えられませんでしたってこともあるかもしれません。
その最高の部分をハードルとするか、最低の部分をハードルとするか。
まあ実際には70%程度前後のところをハードルとするのがバランスのいい選択だと思いますが、これに時間的制約や自分の地頭不足により届かなかったり、届いたならばもうちょいハードルを上げて行こっかなとなるわけです。これでいいやと余った時間を家族とゆっくり過ごすという選択もありでしょう。
僕の場合はこれからパイロットになろうとする人からすると明確でわかりやすいかもしれません。
君がこれからパイロットになりたいと考える大学生だとして、パイロットになるための道がいくつかあり、そのどれかをターゲットに定めたとして、そこにまずはギャップがある人がほとんどでしょう。
試験で聞かれている知識を身につけなければならないし、身体検査に適合しているかもわかりません。もし自社養成を目指すのならば、面接というより不確かなハードルを評価しなければなりません。
しかし大切なのはそのハードルと、自分の今の状態を正確に見極めることだと思います。
それができなければ闇雲な努力となってしまい、自分が必要とされているハードルを超えているのかわからない状態で試験に望むことになります。
これは精神的にもきついですよね。これが不安なり、『怖い』ということの元になるのだと思います。
求められているハードルと、今の自分の適切な評価。
これはいろんな手段で把握していくことが必要になりますが、例えば筆記試験であれば過去問を解いて見れば一発でわかるし、身体検査であれば自分で航空身体検査を受験すればある程度のところは把握することができます。しかし面接だけは面接官との相性や客観的に数値で測ることができないものであるので、自社養成についてはこれが難しいところなのかなと思います。
これらのプロセス。理想に必要な能力や知識と、今の自分が持っているものを正確に把握して、それをコツコツを埋める努力をする。
これが合理的な夢の実現へのプロセスだと思います。
そこにあるリスクに対して、それも自分が許容できるものなのか合理的に判断していく。それも必要でしょう。
夢を叶えることができるのは合理性のない向こうみずな人ではありません。合理的にコツコツと夢に向かって努力してきた人だと思います。
ただそこには報われないかもしれない努力と時間をかけるリスクを背負わなければなりません。
やりたいことがそこまでのものじゃないんだったら、やめておくという選択も僕は否定しません。
まずは自分に問いかけてみてほしい。
自分にとって、譲れないものはなんだろう?
合理性云々よりも、まずはそこをしっかりともつことが大切なんじゃないかな?
考えてみてください。