御巣鷹山事故

2011-05-17

これは航空業界に入るなら絶対に知っておかなければならない事故だ。

日本航空の123便。520名もの人が亡くなった日本最悪の航空事故。

事故調査報告書も公開されているし、wikipediaやいろんな媒体で詳細が記されている。

おまけに国家やアメリカの陰謀論まで囁かれている。

また羽田地区にこの事故の資料館があって、一般にも開放されているはずだから確認してほしい。どれだけ痛ましいものかわかるはずだ。

ここでは概要を記しておく。

事故の概要

東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46機

離陸から12分後の18時24分、相模灘上空を巡航高度の24,000ftへ向け上昇中、23,900ftで緊急事態が発生する。

大きな衝撃音がなって、機体と垂直尾翼の一部が吹っ飛んだ。同時に油圧系統(飛行機のコントロールを動かす行うケーブルみたいなもの)が損傷し、油圧を使用したエレベーター・エルロンの操舵が不可能になってしまった。

飛行機は操縦不能状態となり、上昇・下降・フゴイド・ダッチロール・フラッター現象・バンク・ピッチング・ヨーイング・ローリングを繰り返した。

その間もパイロットは『操縦不能だ』と繰り返し管制官に伝えていたが、やがて通信ができなくなった。

123便は、群馬・埼玉・長野の県境にまたがる三国山の北北西およそ2.5kmの地点にある尾根に墜落した。推定墜落時刻は18時56分ごろだった。

 事故の原因

実は、この事故はチェーンオブイベントの最後に起こった。その経緯を記す。

・1978年6月2日、羽田発伊丹行JAL115便として運航した際、伊丹空港で同機がしりもち事故を起こした。その際、割れた後部圧力隔壁下部の交換を含む機体後部の修理をボーイングに発注。

・ボーイングによる修理は不適切なものであったが、修理後のJALによる目視検査では修理ミスを発見できなかった。

・飛行の度に客室の与圧と減圧を繰り返すため、圧力隔壁の修理部分で金属疲労が進行した。

・疲労が限界を超えたため、飛行中に圧力隔壁が破壊した。

・圧力隔壁の破壊部分から、客室内の空気が垂直尾翼内の点検用の穴を通って垂直尾翼の一部と方向舵を破壊した。さらにすべての作動油が流出し、3舵全てが操作不能になった。

また、別談だが、この事故から教訓を得ようとエンジン出力による機体制御を研究していたユナイテッド航空の機長兼訓練教官のデニス・E・フィッチは、ユナイテッド航空232便不時着事故で乗員乗客の半数とともに生還を果たした。